Vana'daily

Vana'diel 一人旅の日々.ばなでいり.

パラリンピックとチュンソフト

FFXI と全く関係ないのはいつも通り(笑)

 

オリンピック期間中(とその後の2週間ほど)は,発掘した PS Vita の P4G をやっていた話を前回した.

じゃあ,その後は何をしていたかと言うとタイトルの通り.「私の PS Vita の半分はアトラスゲー専用」と前回含みを持たせていたが(笑 アトラスじゃなくてほぼヴァニラウェアだったけど),残りの半分が何かと言うと ADV  ゲームなのだった(アドベンチャーゲーム.ノベルゲーと言えば分かりやすい.昔は SF やファンタジー様の冒険物語が多かった名残の名称.たぶん).その多くがチュンソフト系列.と言うかイシイジロウ

取り合えず Vita のホーム画面には,かまいたちの夜,街,428,タイムトラベラーズ,銃声とダイアモンド,を常備している(笑) ADV ゲームなんて何度もやるものじゃないかも知れないけど,中身を忘れた頃に再プレイをしていて(笑),トゥルーエンドを 3 周とか 4 周とかしている.

かまいたちの夜

思い出したかのようにプレイしている作品.未だに初プレイ時の衝撃が忘れられない.

彼女との初めてのスキー旅行先で起こる猟奇的な連続殺人.ペンションと言う密室で見つかるバラバラ死体に端を発し,次々と無残に殺されていく宿泊客.犯人は誰? 何処に居る? 見えない犯人に怯え混乱する主人公たちは,無事犯人の手を逃れてペンションから生還できるのか?的な話.

1回目のバッドエンドって,たぶんプレイした人の 98% が「スキーのストックでグサッ」エンドじゃないですか(断言) その後は,とにかく生き残りたくて何度もプレイするけれど,階段から突き落としたり突き落とされたり背後から襲われたり勘違いで襲ったりしてバッドエンド.泣きそうになりながらバッドエンドリストを埋めていき,やっと辿り着いたエンディングも「犯人を掴まえたのに・・・」的エンドでモヤモヤ.

救いがない・・・と思いつつ更にプレイを重ねた末に思いがけずトゥルーエンドに辿り着いた時の感激は,今思い出しても筆舌に尽くしがたい.まさかこんなハッピーエンドがあったとは! 生き残りをかけたサバイバルゲームを繰り広げて何度も絶望の淵に突き落とされたプレイヤだからこそ,あのエンディングの価値は 2 倍 3 倍する.プレイパターンも物語の演出に盛り込まれているなんて,と,神の掌のうえに載せられたように感じて,シナリオライターは天才か?と当時は思ってしまったし今も思っている.我孫子武丸さんスゴイ(語彙力).

本作はムチャクチャ怖いけど名作.そして何周しても怖いものは怖い.特に女性の叫び声の演出が怖い.夢に見る.毎回,「一回目でトゥルーエンドを迎えるぞ!」と勢い込んでやるけど,選択肢を忘れて結局サバイバルエンドに辿り着く自分に乾杯.今回も駄目だった(笑) 鳥頭だからスルメのようにゲームを楽しめるのだ(白目).

好きなシーンは,一人目が殺されてリビングで口論になるところ.彼女を殺された事,その理不尽さに怒りを露わにする男性に対して,でも彼が犯人なのでは?と疑心暗鬼になり完全に物語へと飲まれてしまう名シーン.画面をグニャグニャする演出が為されるのだが,プレイヤの心もグニャグニャになる.男性が激昂した時に急に流れ出す音楽も凄くいい.バッドエンドを迎える際に何度も通過するシーンなのだが,毎回ここはキチンと読まずにいられない.

ちなみに,選択肢によってはバラバラ殺人編以外にもルートが分岐する.とあるルートの「ノルウェーから来まーした.ノヨル・カーマイでーす」は私的 ADV ゲーム迷言トップ 3 に入る.もう一つは「ドアノブが照れている?」.ホント好き.

街 〜運命の交差点〜

一時期カルト的な人気を誇っていた(いる)作品.トータルとしては「428」の方が完成度が高く好みだが,その未完成さも作品の一部と好意的に捉えている個人的佳作.たまにやりたくなる.イシイジロウ 3部作(勝手に命名)の第 1 作目.

ノベルゲーの多くは,分岐がありながらも最終的に物語が一つの結末へ向かう一本道様か,分岐→分岐を繰り返すことでシナリオが分かれていく木の根様の構造をしている.一方,この 3 部作は複数の主人公たちが存在し,各々の物語を別々に読み進めていく事が基本となる.そしてこの 3 部作の特徴は,複数の物語が縦糸になり何か所かにある横糸でそれぞれの物語が関係しあう,タペストリー様の構造をしている点にある.

縦糸を繋ぐ横糸は 2 種類ある.一つは分岐.主人公 A の行動を変えることで主人公 B の物語が変化する.例えば,交差点で肩をぶつけ合った事で迎えた主人公 B のバッドエンドを主人公 A がそうしない事で回避する,と言うような仕組み.もう一つはザッピング.主人公 A の物語の途中から主人公 B の物語へ横移動(?)する仕組み.例えば,「あの時交差点で肩をぶつけたあの は・・・」の「男」と言うキーワードから,その男を指す別の主人公へ物語が遷移する.

ザッピングは物語を進めるうえで大きな意味を持つ.主人公 A の物語を読み進めていると「つづく」と出てそれ以上先に進めなくなる箇所がある.そう言った場合は,いったん別の主人公 B の物語を読み進めて主人公 A へザッピングすることによりその先へ進めるようになる.もちろん主人公 A と B とのザッピングはまったく無関係に行われる事は無い.交差点で肩をぶつけたあの男と言う分かりやすい関わり合いもあるし,たまたま喫茶店で別の席に居た彼女と言う緩い繋がりもある.

渋谷と言う街のなかで各々の主人公たちがその主人公なりの物語を繰り広げる中で,偶然あるいは直接的に,はたまた思いがけず関わり合う.ザッピングは,この「人との関わり合い」をシステム的に実現した機能に他ならない.そして,物語の「つづき」は誰によって紡がれるのか?と言う問いと探索に,このゲーム特有のゲーム性が存在している.

街には 8 人の主人公が居る.渋谷の爆破事件を追うゲーマー刑事.ダイエットに励む大食漢な女性.複数の女の子と関り窮地に追い込まれる男子高校生.足を洗ったヤクザ.秘密組織の命令に従う青年.などなど.「え? 何この設定?」と思わないでも無いが「でも渋谷なら・・・あり得なくもない?」と思わせる場面設定が上手い.渋谷万能説.当然,それぞれ一癖二癖あるシナリオになっている.

ゲーム全体としての完成度は,正直言って不十分だ.尻切れトンボ的に終わってしまう話もあるし(続編の構想があったのかもしれない),25年くらい前のゲームなので現在の倫理観的にどうなのか?と言う話もある(当時としてもどうなのかと思うが).精神的に不安定なキャラが 2 名居るので被り感もあるし,終始暗いので読み進める事が厳しい.超展開もある.あと,ダイエットの話は笑えない(笑)

が,そのアンバランスさが本作品の味でもある.このゲームは,癖のある主人公たちの渋谷での 5 日間を切り取った物語だ.人間の人生はそれほど劇的でも無いし,かと言って味気ないものでも無い.何より,人生は 5 日で終わらず続いていく.一見バラバラで,でも何処かで緩く繋がっていて,取り止めなく,にも関わらず 5 日目で何らかの区切りを各々の物語が迎える.終わりではなく区切り.それでいいんだ.それこそが群像劇なのだ.人の物語なのだ.人生なのだ.そう思わせてくれる.気づかせてくれる.そこに,私はこのゲームの価値を見ている.

そして,全エピソードを見終わったときに見られる一つの隠しシナリオ.身勝手な人の思いほど虚しいものはない.そして,伝えられなかった思いに突きつけられる非情な現実に慄き,涙する.でも,人を思うと言う事それ自体が尊く,儚く,故に美しい.短いながらもその事をシミジミと感じさせてくれる良シナリオ,全編を通した後のその余韻だけでも価値があるように思う.

このゲームは人を選り好むかもしれない.でも,少なくない人を引き付ける魅力が確かにある.たまに思い出して触りたくなる,そんなゲームだ.今プレイすると,物凄く昭和な服装や髪型に衝撃を受けるけど(笑)

 

つづく(続けるの?)